いきなり理想を求めるか、最低限を考えるか

物を作る上では、「最低限こういったものは作ろう」という物と、「できたらつけてみたい」といった追加要素の二つを考えるのが大切ではないだろうか。

 

 当然の事ながら、いきなりあまりにも理想に近いものを作ろうとすると、その理想の姿のようなものの中から、どの部分が必要不可欠な部分か?ということや理想ともいえる形を達成するためにどんな技術が必要か?という様々なことに気を向ける必要がある。要はやらなくてはいけないことがたくさん見つかってしんどくなると思う。それこそ壁のように感じるだろう。目標に達するまでに攻略しなくてはいけないポイントがたくさんある上に、どこからでも登れるような気がするから、「ここがうまくいかなくなったから、ちょっとあっちにも手を付けてみよう」といったようになり、結果として微妙なものが出来上がることが多いように思う。

 また、理想の形などは、やっていくうちにどんどん変わっていく。「もっとこういう物が欲しい」「こういう形の方が良いのでは?」といった具合に理想はどんどん違う方向へも、もっと上の方向へも移動していく。だからこそ、先ほどの例えを用いると実際のものづくりにおいては、壁を乗り越えたと思ったらさらなる壁が出てきたりするというわけだ。

 

 だからこそ、最低限のものは何かということを考えて、そこに追加要素を追加していき、どんどん理想の姿を目指すという方が良いのではないだろうか。このやり方は先ほどのやり方を壁と例えるなら、会談のようなものといえるだろう。会談だからこそ、次に上るべき段は一つで済むし、何よりその場その場で新しい段を追加したり戻ったりがしやすい。

 だがしかし、このやり方に置いても最終的なある程度の形というのは決めておくべきであろう。これが無くては無駄な段を突き上げたりする手間が増えるからだ。実際に物を作っているときはハイになって「これを付けたらどうか」といった案が次から次へと出てくるが、それは全体からの正確な判断に基づかない場合が多い。もちろんそういった案をないがしろにしてはいけないが、あくまでも実現を急ぐのでなく、ノートに記しておくくらいで最終的にまた判断すればよいだろう。

 

 物を作るときには「最終的に何を作るべきか」「最低限必要な骨組み的な要素はどれか」ということと、理想の形は常に変わるものだということを意識して動くべきではないかなと、最近新しくものを作り出して思った。